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Great Urban Places in Asia 21 - カトマンズ盆地の旧王国都市 5 [アジアの都市探訪]

バクタプル(続き)

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バクタプルの中心部、タウマディ広場にある寺院。基壇部に多くの人が座っている。
2015年の大地震で、多くの寺院が基壇部を残して倒壊してしまった。

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軒先に座り、話している母と子、女たち。店とみちの縁は生活の大切な場。

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住宅の出入口周りで、洗濯をする女たち 


(続く)
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Great Urban Places in Asia 20 - カトマンズ盆地の旧王国都市 4 [アジアの都市探訪]

バクタプル Bhaktapur
 バクタプルはカトマンズ市中心部から約13km東、カトマンズ盆地の東縁に位置する。カトマンズ盆地の3王国の中では最大規模であり、マッラ(Malla)王朝時代、15世紀半ばまではネパールの首府であった。
 中世に建設された中層の建物群からなる街がそのまま全体として保全され、人々の暮らしもかなりの部分は伝統的なものと思われる。まちなかのいたる所にパティ (Pati) や建物の縁など座る場所がある。パティとは小さな床と屋根が建物の外部に取り付けられたようなものだ。床は木製で、土足で上がらない。パティはダルマシャーラの最も小さなタイプで、まちなかに数多く見られる。
 建物の窓から外を見ている人が多い。家の中は狭く暗いためこともその一因だろう。玄関先で編み物や洗濯をしている人もいた。屋外空間は、住宅や店舗などから連続した、生活に必要不可欠な場となっている。

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バクタプルのまちかど、小広場に面したパティ。建物に小屋根を張出し、床を張ったもの。
誰でも気軽に座り休憩などしている。

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みち沿いのパティ。多くの人たちが座っていた。

(続く)
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Great Urban Places in Asia 19 - カトマンズ盆地の旧王国都市 3 [アジアの都市探訪]

ダルバール広場 Durbar Square

 ダルバール広場とは王宮が集まった場という意味で、ネパールではかつての王国だった諸都市にダルバール広場がある。カトマンズ盆地の3都市、カトマンズ、パタン、バクタプルのものは特に著名で、3つとも世界文化遺産に登録されている。
 カトマンズの王宮については、古くは3世紀に建設されたといわれるが、たびたび取り壊し、再建、補修などがなされ、当時の建築物は残されていない。ダルバール広場の建設開始時期についても明確な記録はないが11世紀にはじまったものとされ、カトマンズの最初の独立王朝であるマッラ(Malla)王朝が16世紀にタレジュ寺院(Taleju Temple)を建てた。この寺院は基壇部の上に上部ほど小さな屋根3層を持つ塔が建ち、ネワール建築の典型的な例である。このダルバール広場には、マッラ王朝とそれに続くシャハ(Shah)王朝の王宮、それに数十の寺院がある*1。
ダルバール広場は俗世界と隔離された聖なる空間ではない。カトマンズのダルバール広場は、中央部を斜めに道路が通り、そこには人だけでなく車やバイクがどんどん入ってくる。みちの脇には露店がびっしりと並び、ただ座って時間を過ごしている人も数多く、極めて世俗的、庶民的かつ聖なる場である。どこまでが広場か、広場の形状はどうかなど判然としない。全体としてひとつの空間、ひとつの広場、ひとつの境内となっている。広場のあちこちに、ダルマシャーラや塔の基壇部などの座る場があり、休憩、会話、商売の場所として多くの人々に使われている。
車は双方向通行で早朝には少ないが、日中は大変な混雑となる。日中の一定時間だけでも車の通行を禁止としてはと思うが、高密度な市街地にあり迂回路が取れない現状では難しいのであろう。

パタン Patan 
 パタンはカトマンズ中心部から約5km南、カトマンズ盆地にある街で、かつてはカトマンズ、バクタプルと並びこの地域の3王国のひとつであった。その中心であるダルバール広場にはネワール建築による旧王宮や寺院、そして水汲み場などがあり、周囲には多数の商店がある。広場内にも1か所、キオスクのような売店があった。広場中央の通路を挟んで、東(絵では右)に王宮、西に寺院群が配置されている。広場内は車の通行は制限されていた。広場の路面は煉瓦舗装となっている。
パタンは、カトマンズの中心部よりもコンパクトで静かな街である。しかしここでも多数のモーターバイクが、狭く舗装の無いみちを走り抜けていた。

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パタンのダルバール広場(2015年4月の震災前)


◆ネワール建築
 ネパールの伝統的建築であるネワール建築は、レンガ造または木造軸組とレンガ造の混構造を基本としている。ネワール建築の特徴のひとつに、驚異的な精巧さの木彫りがある。それらが窓周りや方杖、壁面に施されている建築が多数ある。窓枠は分厚く、幾重もの組子になって、窓とレンガ壁を接合しており、他に例を見ない。ヨーロッパ建築的な様式とネパール在来のものが融合した建築意匠も多数見られる。
 ネワール建築の建物全体としての強度が不足気味であることは、大地震以前から指摘されていた。特に屋根の広がりが大きく瓦の重量が大きな層塔や、古いタイプのレンガ造で接合モルタルの強度が不足している建物などは、甚大な被害を受けた。

(続く)
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Great Urban Places in Asia 18 - カトマンズ盆地の旧王国都市 2 [アジアの都市探訪]

【カトマンズ旧市街 アサン・チョークから続く】
 この地区では、幅の狭い道沿いに伝統様式で間口の狭い中層建築がびっしりと立ち並ぶ。それらの多くはレンガなど組積造、窓やドアは木造で精巧な彫りが入っている。

カトマンズ広場.jpg

ダルバール広場からさらに西方に向かう。伝統的な建築が立ち並び、
視線の先にはネパール様式の層塔、パゴダが見える。


(続く)
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Great Urban Places in Asia 17 - カトマンズ盆地の旧王国都市 1 [アジアの都市探訪]

 カトマンズ盆地は標高約1,300~1,400mに位置し、その中心であるカトマンズ市の人口は140万人、盆地に広がる都市圏の人口は250万人であり、ヒマラヤ渓谷地域(Himalayan Valley)での最大の人口集積地域である。かつてはカトマンズ盆地がネパールと呼ばれた。

 カトマンズ盆地では13世紀初頭にマッラ(Malla)王朝が興った。この時期にはインドから入ってきたヒンドゥー文化、チベット方面からの仏教文化が以前からのローカル文化と交流・融合し、ヒンドゥー教と仏教は共存し、独自のネワール文化を発展させた。今日まで残る王宮、寺院、住宅などの伝統的建築物の多くはマッラ朝最盛の後期のものである。1484年、マッラ王朝はカトマンズ、パタン(ラリトプル)、バクタプルの3王国に分裂し、各都市の中心部に複数の王宮と寺院などを包含したダルバール広場 (Durbar Square) がつくられた。今日に至るまで、ダルバール広場は各都市の中心である。その後は王国の並立時代となるが、1769年にシャハ王朝によってカトマンズ盆地は再び統一された。

 カトマンズ、バクタプル、パタンなどではまちの随所にダルマシャーラ (Dhalmashala、形態や機能によってさまざまな呼び名がある)などと呼ばれる、屋根や庇のついた休憩所や縁側のような空間、あるいは建築や構造物が設けられている。これは元来、修行中のヒンドゥ僧侶の宿坊や休憩所として発達したもので、現在では祭事、日常生活、商売の場として日常的に広く活用されている。ネパールの街の大きな特徴となっている。ヒンドゥ教をベースとし仏教が融合した多神教が人々の生活に深く浸透しており、祈りや祭事を行う空間が生活や商業の空間と融合して存在し、日常的に使われている。

 中心市街地の街路は狭い。アスファルト舗装もあるがレンガ舗装もあり、舗装していないみちもある。バイク、車の通行量は多く、排気ガスが多く埃っぽい。多くの歩行者はカラフルなマスクをしている。みちで自由勝手に生きている犬は数多く、牛もちらほらいる。そのようなまちに人々は早朝から露店を開き、多くの人々がまちにざわざわと出、生活感と活気に満ちている。




カトマンズ
 カトマンズはネパールの首都で、政治・経済の中心である。外国からの登山者にとってヒマラヤ山脈への拠点都市であり、観光業が主要産業のひとつとなっている。旧名は、栄光の都という意味のカンティプル(Kantipur)であり、マッラ王朝時代にはネワール文化が隆盛して数々の王宮や寺院などが建てられた。

 アサンチョークAsan Chowk~インドラチョーク Indra Chowk~ダルバール広場Durbar Square以遠
チョークとは元来建物に囲まれた中庭という意味だが、辻や広場という意味でも使われている。アサンチョークはカトマンズ市街の中心部にあり、人々の信仰、商売、生活の場である。広場や周辺のあちこちに神がまつられた祠や寺院があり、日の出30分前くらいから多くの人が出て、ろうそくに火をともし、鐘を鳴らして礼拝する。礼拝に出てきた住民や露店の商人あるいは観光客のために、早朝から朝食やチャイの露店が出る。ただ座っている人もいる。

 露店は夜明け前から始まる。屋台もあるが、多くは路上に座り込み商品を広げる「路店」だ。場所取りは早いもの勝ちらしいが、毎日だいたいどのあたりと決まっているようだ。商人たちは背中よりもはるかに大きな荷物を担いで次々とやってくる。なかにはおばあちゃんも多い。あらゆる種類の露店があり、場所によって野菜果物類のところ、服、靴、雑貨などのところのように分かれている。大半の店は店主が売り子の小さな一人店だ。

 カトマンズにはコンビニなどはなく、スーパーマーケットも中心部にはない。カトマンズでは露店は特別なものではなく、日常生活を支えているのだ。住民はさまざまな露店を回り、日用品をそろえているのだろう。肉は小さな肉屋があちこちにあり、店の奥で肉を捌き、店先にそのままどんと置いて売る。まちなかの食料品店は小さなものばかりで飲み物、パン、お菓子などを扱っている。内陸国のためであろうが、魚屋は非常に少なく、かつそこで扱っていたのは小さな干魚が多かった。

 道の両側には、間口が狭い中層建築がびっしりと並ぶ。レンガ造で窓枠や扉は木造、そこに精巧な彫り物がされた伝統的建築も多い。夕暮れ時には人、車、バイクは一層多くなり、けたたましいクラクションとエンジン音、排気ガス、掛け声が充満し、そこに犬たちも歩き回りあるいは寝そべり、まちは大変な活気と喧騒混沌状態となる。

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アサンチョークの朝
日の出にあわせて多くの人が祈りや商売のため、まちに出てくる。さほど広くはない広場に露店が多数出る。どこまでがみちなのかは判然としない。


◆2015年4月のネパール大地震
 2015年4月に発生した大地震はネパールに甚大な被害をもたらした。カトマンズ盆地の歴史的建築や在来工法によるレンガ造建築の多くが甚大な損害を受け、崩壊してしまったものも少なくない。私は大地震の3週間ほど前にカトマンズ地域を訪問したのだが、この本で絵や文章にした建築物のなかには、もはや存在しないものもある。そのような情景を描くのはどうかもと思ったが、魅力あふれるネパールの都市空間とその使われ方を記録することは意義があると考えた。歴史的建造物が全て修理・復元されるかはわからないが、まちを使いこなす人々のたくましい生活は、必ず、しかも早期に復興すると確信している。地震の犠牲になられた方々への哀悼の想いを込めて、筆を進めたい。


(続く)
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