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Great Urban Places in Asia 17 - カトマンズ盆地の旧王国都市 1 [アジアの都市探訪]

 カトマンズ盆地は標高約1,300~1,400mに位置し、その中心であるカトマンズ市の人口は140万人、盆地に広がる都市圏の人口は250万人であり、ヒマラヤ渓谷地域(Himalayan Valley)での最大の人口集積地域である。かつてはカトマンズ盆地がネパールと呼ばれた。

 カトマンズ盆地では13世紀初頭にマッラ(Malla)王朝が興った。この時期にはインドから入ってきたヒンドゥー文化、チベット方面からの仏教文化が以前からのローカル文化と交流・融合し、ヒンドゥー教と仏教は共存し、独自のネワール文化を発展させた。今日まで残る王宮、寺院、住宅などの伝統的建築物の多くはマッラ朝最盛の後期のものである。1484年、マッラ王朝はカトマンズ、パタン(ラリトプル)、バクタプルの3王国に分裂し、各都市の中心部に複数の王宮と寺院などを包含したダルバール広場 (Durbar Square) がつくられた。今日に至るまで、ダルバール広場は各都市の中心である。その後は王国の並立時代となるが、1769年にシャハ王朝によってカトマンズ盆地は再び統一された。

 カトマンズ、バクタプル、パタンなどではまちの随所にダルマシャーラ (Dhalmashala、形態や機能によってさまざまな呼び名がある)などと呼ばれる、屋根や庇のついた休憩所や縁側のような空間、あるいは建築や構造物が設けられている。これは元来、修行中のヒンドゥ僧侶の宿坊や休憩所として発達したもので、現在では祭事、日常生活、商売の場として日常的に広く活用されている。ネパールの街の大きな特徴となっている。ヒンドゥ教をベースとし仏教が融合した多神教が人々の生活に深く浸透しており、祈りや祭事を行う空間が生活や商業の空間と融合して存在し、日常的に使われている。

 中心市街地の街路は狭い。アスファルト舗装もあるがレンガ舗装もあり、舗装していないみちもある。バイク、車の通行量は多く、排気ガスが多く埃っぽい。多くの歩行者はカラフルなマスクをしている。みちで自由勝手に生きている犬は数多く、牛もちらほらいる。そのようなまちに人々は早朝から露店を開き、多くの人々がまちにざわざわと出、生活感と活気に満ちている。




カトマンズ
 カトマンズはネパールの首都で、政治・経済の中心である。外国からの登山者にとってヒマラヤ山脈への拠点都市であり、観光業が主要産業のひとつとなっている。旧名は、栄光の都という意味のカンティプル(Kantipur)であり、マッラ王朝時代にはネワール文化が隆盛して数々の王宮や寺院などが建てられた。

 アサンチョークAsan Chowk~インドラチョーク Indra Chowk~ダルバール広場Durbar Square以遠
チョークとは元来建物に囲まれた中庭という意味だが、辻や広場という意味でも使われている。アサンチョークはカトマンズ市街の中心部にあり、人々の信仰、商売、生活の場である。広場や周辺のあちこちに神がまつられた祠や寺院があり、日の出30分前くらいから多くの人が出て、ろうそくに火をともし、鐘を鳴らして礼拝する。礼拝に出てきた住民や露店の商人あるいは観光客のために、早朝から朝食やチャイの露店が出る。ただ座っている人もいる。

 露店は夜明け前から始まる。屋台もあるが、多くは路上に座り込み商品を広げる「路店」だ。場所取りは早いもの勝ちらしいが、毎日だいたいどのあたりと決まっているようだ。商人たちは背中よりもはるかに大きな荷物を担いで次々とやってくる。なかにはおばあちゃんも多い。あらゆる種類の露店があり、場所によって野菜果物類のところ、服、靴、雑貨などのところのように分かれている。大半の店は店主が売り子の小さな一人店だ。

 カトマンズにはコンビニなどはなく、スーパーマーケットも中心部にはない。カトマンズでは露店は特別なものではなく、日常生活を支えているのだ。住民はさまざまな露店を回り、日用品をそろえているのだろう。肉は小さな肉屋があちこちにあり、店の奥で肉を捌き、店先にそのままどんと置いて売る。まちなかの食料品店は小さなものばかりで飲み物、パン、お菓子などを扱っている。内陸国のためであろうが、魚屋は非常に少なく、かつそこで扱っていたのは小さな干魚が多かった。

 道の両側には、間口が狭い中層建築がびっしりと並ぶ。レンガ造で窓枠や扉は木造、そこに精巧な彫り物がされた伝統的建築も多い。夕暮れ時には人、車、バイクは一層多くなり、けたたましいクラクションとエンジン音、排気ガス、掛け声が充満し、そこに犬たちも歩き回りあるいは寝そべり、まちは大変な活気と喧騒混沌状態となる。

asan chowk.jpg
アサンチョークの朝
日の出にあわせて多くの人が祈りや商売のため、まちに出てくる。さほど広くはない広場に露店が多数出る。どこまでがみちなのかは判然としない。


◆2015年4月のネパール大地震
 2015年4月に発生した大地震はネパールに甚大な被害をもたらした。カトマンズ盆地の歴史的建築や在来工法によるレンガ造建築の多くが甚大な損害を受け、崩壊してしまったものも少なくない。私は大地震の3週間ほど前にカトマンズ地域を訪問したのだが、この本で絵や文章にした建築物のなかには、もはや存在しないものもある。そのような情景を描くのはどうかもと思ったが、魅力あふれるネパールの都市空間とその使われ方を記録することは意義があると考えた。歴史的建造物が全て修理・復元されるかはわからないが、まちを使いこなす人々のたくましい生活は、必ず、しかも早期に復興すると確信している。地震の犠牲になられた方々への哀悼の想いを込めて、筆を進めたい。


(続く)
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