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神楽坂 震災復興支援サロン2016 [まちづくりイベント]

10/31(日)、神楽坂で震災復興支援サロンを行いました。今年で5回目、主催はNPO粋なまちづくり倶楽部、「まち飛びフェスタ」参加企画です。

■目的
 被災地の現状を知る(忘れない)ようにします。
 神楽坂に関わっている人が、東北や熊本でどのような支援活動をしているか、情報交換します。
 被災地の人から見て、神楽坂に何を期待するか、どのような交流を希望されているか、伺います。
 神楽坂にいる私たちで何ができるか改めて考え、できるところから実行する機会とします。

■場所:高齢者福祉施設神楽坂 1階 地域サロン
■日時:2016(H28)年10月30日(日曜日) 13:00 - 17:00

■プログラム
(1)交流サロン
パネル展示 13:00 - 17:00
神楽坂関係者が被災地で活動した内容や現地の状況(写真、図表、ポスター等)の展示

(2)トークセッション 14:00 - 16:15 被災地の現況、復興支援活動レポート
7名から、三陸や福島の津波、原発被災地の状況や、復興の課題などについてプレゼンテーション、報告がありました。うち1名は、原発事故で帰還困難となっている浪江町からの避難者です。

私は福島県太平洋岸のまちの現況について、以下のような報告をしました。

「今年8月に原発事故被災地である福島県浜通りから宮城県沿岸地域、富岡町から山元町を訪問した。被災地の現況をご紹介したい。
 帰還困難区域では、立ち入りが禁止され、地域の南北幹線となっている国道6号は通れるがそれ以外は一切立ち入りできない。被災した建物、かつてにぎわっていたと思われる商業施設などはそのまま封鎖され、荒れて草ボーボーの状態になったままである。
 居住制限区域では、富岡駅付近は除染、鉄道施設等の解体などが行われており、汚染物質を入れたトン袋が大量に野積みされている。新築であった住宅が津波で大破し、そのままの状態になっているものもあった。
浪江町では、通行は許可されているが歩いている人は皆無で車もほとんど通らない。非常に静か。駅前では一部解体工事などが行われていた。これらの地域では復興には程遠い状態である。
 福島県北部沿岸の新地町では、原発被害はなく、津波被災地で常磐線の移設と高架化、駅および関連施設の建設が進み、おそらく区画整理による土地造成が行われ、新しい役場や集合住宅がほぼ出来た状態。その北側の宮城県山元町、新坂元駅周辺では区画整理が完了し真新しい道路と戸建新築住宅が並んでいた。保育園や子どもセンターが開所間近な状態で、若い母親とこどもたちが公園で遊ぶ姿が見られた。新地町の内陸にある木造の仮設住宅は、だいぶ空室が目立ち、また建物や施設の老朽化も顕在化している。
 全体的には、津波被災地はさまざまな課題を抱えながらも復興が進んでいるのに対し、原発被災地は特に帰還困難地区は全く見通しが立たない状態。居住制限区域や避難指示解除準備区域でも、すんなり住民が帰還するとは到底考えられない。震災から5年半を経て、被災当初とは問題が変質し、複雑化している。」

この震災復興サロンは、震災の記憶が薄れ報道も少なくなっている中で、継続することに意味があることから、今後とも続けていきたいと考えています。

震災復興サロン3.jpg
プレゼンテーションの様子

震災復興サロン2.jpg
休憩時間、意見交換や懇談。会場には様々なパネル展示。

震災復興サロン1.jpg
会場をオープンにし、道路からもパネル展示が見られるようにしました

 

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