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Great Urban Places in Asia 133 - 東京・神楽坂 Kagurazaka 1 [アジアの都市探訪]

神楽坂
神楽坂は東京都心部、牛込台地の先端に位置し、複雑な地形に上に長短緩急の坂道が通る。江戸時代に主に武家屋敷及び寺町としての整備が行われ、それ以前からあった町人地と混在しながら発展した。明治時代になると花柳界が勃興し昭和初期には隆盛期を向かえ、このまちだけで料亭150軒、600~700人の芸者衆がいたという。花柳界とはごく概略的に言えば待合、料理屋、置屋があり(待合と料理屋が一体となったものが料亭)、芸者衆がいる街で、花街とも呼ばれ社会的・空間的な意味を持つ。
アジア太平洋戦争末期の東京大空襲で街は壊滅したが、戦後の復興に伴って花柳界や商店街も再興し、昭和中期には第二の隆盛期を迎えた。その後は社会経済環境の変化に追従せず低迷した時期があったが、1990年代ごろからこの街の地形や路地、歴史、文化を活かしたまちづくりの取り組みが次第に活発になり、今では多様な人たちがこのまちでの買い物、飲食、伝統芸能、そして伝統的な路地のある界隈を楽しみ、集まるようになっている。神楽坂通りは一見特に変哲のない商店街のようであるが、よく見れば東京の最先端を行くまちのひとつである。

神楽坂通り
 神楽坂通りは、神楽坂の背骨を通るメインストリートである。江戸時代、三代将軍家光が重臣酒井若狭守の屋敷に下る(地形的には上る)御成道、もしくは若狭守が江戸城に登城する道として整備されたもので、18世紀後半に神楽坂通り中央部に毘沙門天善国寺が移転してきた以降は、定期的に行われる縁日の通りとしても賑わった。
明治中後期以降は商店街として発展し、今でも江戸時代の街割りを基盤とする、間口が狭く奥行きが深い土地に建つ商店街が健在で、物販店は老舗の和装小物店、和菓子店からコンビニまで、飲食店は和食、フレンチ、中華、各種飲み屋からバー、カフェまで、さらにゲームセンターなど様々な店舗がほぼセットバック無しで軒を連ねる。近年チェーン店が増加しているが、個人経営、老舗の店も少なくない。その店主や家主たちの多くは店の上の階に住み、24時間このまちで働き、住み、まちづくりの担い手となっている。
神楽坂通りの幅員は10~12メートル、うち車道幅は7メートルほどで、午前と午後は通行方向が違う一方通行である。2車線あるうち1車線分は通行帯、1車線分は沿道商店への物流やタクシー客のため停車帯として利用されている。毎日昼12時から1時までと、日曜日の午後12時~7時は自動車通行止めとなり、人々はけやき並木の坂道のそぞろ歩きをゆったりと楽しんでいる。

kagurazaka1.jpg
神楽坂通り。人々は思い思いにまちを歩き、お気に入りの場所に向かう。
毎日のお昼1時間と、日曜日午後は歩行者専用のみちになる。

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