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Great Urban Places in Asia 129 - 渋谷 Shibuya, Tokyo 2 [アジアの都市探訪]

スペイン坂
 ハチ公前交差点から、中高生や若者で溢れチェーン系飲食店や物販店が並ぶ「センター街」に入り、その途中で右に折れるとこの小さな坂の入口に着く。この沿道にあった喫茶店のマスターはスペインの風景に惹かれてスペイン風の内装にしていたが、1975年、この坂の上の地域で商業施設開発を行っているパルコから坂の命名を依頼され、スペイン坂としたという(渋谷区ホームページより)。以後、近隣で外装を南欧風にした建物が現れたが、現在のファサードは多様である。
 坂は途中で折れながら勾配を強め、階段になる。それにつれて沿道店舗の客層年齢もあがり、ティーンエイジャーからやや大人向けになるようだ。

スペイン坂.jpg
スペイン坂 小さな坂だが、いつも若者が多い

(続く)
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Great Urban Places in Asia 128 - 渋谷 Shibuya, Tokyo 1 [アジアの都市探訪]

渋谷
渋谷は東京で最も多くの若者に好まれ、彼らが集まる街、行きたい街と言ってもよいだろう。
渋谷駅を底にしたスリバチ状の地形に、複雑な街路網が形成されている。比較的広い街路沿いには大型店や大型の雑居ビルが並び、細い街路沿いには小規模ビル、店舗、レストランや各種の飲み屋などが密集する。多くの通りは人が多く、賑わっている。中心部の繁華街から外周部に入っていくと路は狭くなり、主に住宅街となる。
 渋谷ではひとつひとつのみちに名前があり、それぞれが個性的でよく使われているものが多く、その名前を聞けばその沿道地域のイメージが思い起こされる。このような都市は日本には多くない。
渋谷の拠点、渋谷駅はJR、私鉄、地下鉄の合計7線が集まり、さらに多数のバス路線の起終点でもある大ターミナルである。駅は地上3階・地下5階、東西南北に広がる複雑な構造で、過去長年にわたり、そしてこれから先数年も大改造工事が続く。駅周辺には超高層複合施設の建設が相次ぎ、ますます集積度を深めている。

ハチ公前広場と交差点
渋谷で最も人が集まるのは、駅前にあるハチ公広場と、その前にあり5本の道が集まる交差点である。ハチ公とは犬の愛称で、1920年代、主人が亡くなったことを知らずか信じずか、この駅前で毎日のように主人の帰りを待ち続けた忠犬である。ハチ公の銅像は長年渋谷の待ち合わせ場所として、多くの人たちに親しまれている。
 一辺40メートルほどのスクランブル交差点の歩行者信号が青になると、各方面から一斉に人々が動き出す。1回の歩行時間は45秒ほどだがそのわずかな間にこの交差点を渡る人は数千人になるだろう。周辺の現代的な商業ビルの壁面には大型ディスプレイがあちこちに設置され、ニュースや広告を溢れんばかりに送り続ける。人と情報の密度は世界最大級である。信号を守らない人はほとんどなく、路上や植樹帯のごみは非常に少なく清潔に保たれている。この秩序ある喧騒はいかにも日本の先端都市、渋谷ならではの景観である。

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渋谷ハチ公前交差点を非常に多くの人たちがざわざわと、しかし整然と渡る。
周囲は新しい現代建築がほとんどで、新陳代謝が早い。


(続く)
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Great Urban Places in Asia 127 - ソウル Seoul 8 [アジアの都市探訪]

東大門(ドンデムンDongdaemun)北側丘陵 伝統的地区 
 丘陵地に迷路のように入り組んだ狭い坂の路地が広がり、伝統的形態の低中層住宅が密集している。歴史的地区に指定され散策路があるが、北村のような商業観光化はしていない。緑の自然に囲まれた静かな居住地であり、車が入り込まず、みちや路地から人々の庶民的な生活が垣間見える。建物は小さく、老朽化しているものも少なくない。
時は静かに、ゆっくりと流れている。
車が入れない路地や階段が多いため、その入口までのやや広い道路は、住民の駐車スペースになっていた。

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東大門北部の伝統的住宅地区から、ソウル都心部を臨む


(続く)
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Great Urban Places in Asia 126 - ソウル Seoul 7 [アジアの都市探訪]

北村 Bukchon
 ソウル都心からほど近い北部の丘陵地に広がる一帯に、伝統的戸建住宅である韓屋の歴史的様式を保った低層建築群が、路地網に沿って建ち並んでいる。伝統的建築の多くは煉瓦あるいは石造だが最上部のみ木造の混構造や、全体が木造のものもある。いずれも、反りのある厚い瓦屋根、壁面の文様などが特徴になっている。石、漆喰やレンガ造で笠瓦を載せた分厚い塀を設けたものも多い。そのなかには擁壁を兼ねているものもあり、斜面地ならではの景観をつくっている。
一部の建築は大きなガラス窓など現代的な要素を入れつつ歴史的建築としての特徴を活かしてリノベーションされ、瀟洒なカフェや店舗、ギャラリーなどとして利用されている。北村は生活の場であるとともに歴史と文化の観光拠点であり、多くの人々が訪れる。
北村には幅員が狭く、車が入らない個所が多いため、路地歩きには適している。丘陵斜面にあるので、路地からのまちなみを下から見上げたり、韓屋の背景にソウル都心部の高層ビル群が見えたりなど、奥行きある景観の変化が楽しめる。

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北村
韓屋(ハノック)と呼ばれる伝統的住宅群が丘陵地域に保存、再生、活用されている。


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Great Urban Places in Asia 125 - ソウル Seoul 6 [アジアの都市探訪]

弘大周辺エリア Hongdae Neighborhood Area
 弘益大学はソウル都心近くにある総合大学で特に美術、デザイン系が知られる。最寄りの地下鉄駅から大学周辺は歩きやすくヒューマンスケールな街で、アーティスティックなショップ、オープンスタイルのカフェ、飲食店、クラブなどが並ぶ。建築は新しいものと古いもの、リノベーションされたものが混在し、看板やサインと一体的にデザインされたファサードも多い。ところどころの壁画も、アートの街としての演出に一役買っている。学生の活力や、美大らしいセンスが感じられる街である。

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弘大近くの学生が多い街。並木道に面してリノベーションされた
小さくおしゃれな店舗が集まる

(続く)
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Great Urban Places in Asia 124 - ソウル Seoul 5 [アジアの都市探訪]

仁寺洞 Insadong
 清渓川の北側に並行して東西に通る幹線道路である鍾路からインサドンキル(キルは通りという意味)に入るところで、街の雰囲気が変わる。仁寺洞(インサドン)地区はインサドンキルを中心とし、伝統小物や工芸品店、カフェ、レストランなどが集まる新しいアートの街として1990年代から整備され、街路や建築も韓国らしい伝統と現代の調和を目指したデザインになっている。
街路デザインはグレーを基調色とし、路面の仕上げは歩道・車道とも同じ石貼り。歩車道の間はほとんど段差がない縁石で仕切られており、車道はゆったりと蛇行している。全体が歩道のような使われ方で、車の通行は少ない。全幅は約10mで、みちと沿道建物の一体感を保つには適度な幅員である。電柱はなく、路面舗装と一体感のある石のベンチやボラードが設けられている。高木の街路樹があり、足元には植樹マスも設けられ、街路全体としての調和と落着きのあるデザインとされている。多くの若者たちや観光客がゆったりとみちを歩き、あちこちで立ち止まり座り、まちを楽しんでいる。
建築ファサードには木や石など自然素材が多く用いられると同時にガラスの大開口部も多く、その融合あるいは対比を意図したデザインが多数見られる。建物の間口は小さく高さは概ね3階程度以下と低く、通りに面してすき間なく並んでいる。
 インサドンキルから出る細い路地には、伝統的な韓屋を活かした飲食店や居酒屋などがある。仁寺洞らしさという共通点を保ちながら、表通りより雑多でローカルな雰囲気を生み出している。

この建物はインサドンキルに面し、中央広場を持つ小さなショッピングモールで、2004年にオープンした。中央広場を囲んで回遊式の開放斜路があり、そこから各店にアクセスするようになっている。外からは店舗の様子が、中からは中央広場の様子がよくわかる。広場は休憩や飲食に使われるほか、さまざまなイベントが行われ、人々が集まる場となっている。

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インサドンキルに面したショッピングモールの中庭広場
広場と建物の各階が、見る・見られるの関係をつくっている

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Great Urban Places in Asia 123 - ソウルSeoul 4 [アジアの都市探訪]

世宗路と光化門広場 Sejongno and Gwanghwamun Park
 世宗路(セジョンノ)はソウル都心、景福宮入口の光化門から真っ直ぐ南に延び、清渓広場近くに至る長さ550m、幅67mの大路である。その中央部の幅約34mの部分が光化門(ガンハムン)広場で2009年に完成した。ここはかつて合計16車線分の道路であったものを、6車線分を削減し広場として改修したものだ。広場の両側は反時計回り5車線の、巨大な長円形ロータリー状の道路となっている。
広場中央部には韓国の英雄である李舜臣将軍と世宗大王の像が配されているほか、噴水、水路、フラワーカーペット、歩行者園路などがあり、都心にあって歴史を感じさせる、悠々とした広大な空間になっている。ソウル都心の大きな市民広場であり、歴史のシンボル軸である。清渓川から清渓広場を経て光化門までつなぐ、ゆったりとした大きな人の流れが生み出された。広場の地下には、李将軍や世宗大王に関する展示施設や利便施設、地下鉄駅などが設けられ、複合的に利用されている。


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光化門広場は世宗路の中央にあるプロムナード状の空間で、この両側にそれぞれ5車線の一方通行道路がある

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Great Urban Places in Asia 122 - ソウル Seoul 3 [アジアの都市探訪]

南大門市場 Namdaemum Market
 明洞の西隣にあり、数ブロックにわたり飲食店、食品、衣料品、電気製品などの店がぎっしりと立ち並ぶ。明洞はファッショナブルで変化が速く、最も現代的な商業地区であるのに対し、南大門市場(ナンデムンシジャン)は昔ながらの気取らないまちであり、ヒューマンスケールが保たれ、庶民や観光客の台所であり観光名所でもある。店の数は1万、就業者は5万にも及ぶという。
店は業種ごとに集まってそれぞれ特徴を出している。飲食の露店が集まったエリアでは、海産物、肉、野菜、惣菜などさまざまな韓国食材がいくつも店の前に並べられ、お客はそこから選んでその場で煮たり揚げたり焼いたりしてもらい、そのすぐ横の小さなテーブルで食べる。おしゃれな若い女子、おじちゃんおばちゃん、旅行者、地元の老人たちみんなが、いっしょの時間を過ごす。

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南大門市場には多種多様、多数の小売店、飲食店が集まり、人々はここならではの体験を共有する

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Great Urban Places in Asia 121 - ソウル Seoul 2 [アジアの都市探訪]

明洞 Myeongdong
 明洞(ミョンドン)はソウル一の繁華街で、商業施設やオフィスが集積する。明洞地区内の道路は自動車交通規制がされ歩行者専用となっている箇所や時間帯が多く、まちは昼も夜も多くの歩行者で賑わう。建物は現代的、中層で間口が狭いものが連なり、壁面位置はほぼそろっている。低層階の大半は物販店、飲食店であり、チェーン店が多いがなかには地元の個店もある。壁面広告は正面据え付け型と袖看板が目立ち、内部発光型が多く、表記は英語とハングルが多く時折日本語も見られる。このまちなみの構成、ファサード、商業形態、看板の表現や形態は東京など日本の大都市と似ており、最も現代商業化したものである。
 夕刻になると、みちに多くの露店が開かれる。宝飾アクセサリー、小物、カバン、靴、衣類、携帯電話、音楽ビデオ類などの物販店のほか、各種の飲食屋台がずらっと並び、まちの密度がさらに増す。その時間帯に出てくる店の多くは地元商業者の個店のようで、昼間は大型店やチェーン店が目立つが夕方になるとぐっと庶民的になり、ローカルな明洞らしさが高まっていく。

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高級品から庶民的な品まで多種多様な商品を売る露店がみちに出て、明洞の夜は大いに賑わう

(続く)
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Great Urban Places in Asia 120 - ソウル Seoul 1 [アジアの都市探訪]

ソウルとは朝鮮語で首都という意味である。その名のとおり、この都市は600年以上にわたり首都であった。ソウルの正式名称はソウル特別市で、1946年に京畿道から独立し、広域自治体(日本では都道府県に相当)と同等の自治体となった。1948年に大韓民国が独立するとその首都となった。1950年に始まった朝鮮戦争では大きな被害を受け、首都は一時プサンに移されたが、停戦後1953年にソウルに再遷都された。1960年代には高度経済成長時代を迎え、70年代には市域が拡大して周辺町村の統合が行われた。市の人口は1991年にピークの1,090万人を超え、その後は緩やかな減少となっているが、それでも2016年の人口は990万人、近郊地域を含めた都市圏では2,350万人と世界有数の大都市圏であり、韓国民の約半数が居住している。
漢江が都市中央部を東から西に流れており、かつての宮城や歴史的地区などを含む古くからの市街地の大半は川の北側、直径6kmほどの円の範囲内に位置している。川の南側には江南地区など近年開発が進む新興商業、ビジネス、住宅地区が拡がっている。

清渓川 Cheonggyecheon
 清渓川(チョンゲチョン)は、ソウル都心のほぼ中央部を東西に貫く川である。
 川の両岸には600年前から居住地があったという。ソウルの幹線街路網はこの川を中心に形成され、この川を渡る橋の周囲が商業地となった。日本による植民支配の時代や朝鮮戦争を経て、川の両岸は多くの難民が集まる密集居住地帯となった。生活排水の流入、ごみ投棄などの衛生問題が悪化し、都心の自動車交通量も増加した。それらの問題は1960~70年代の高度成長期に一層深刻化したため、段階的に川に蓋がされその上が道路とされ、さらにその上に自動車専用道路が建設された。70年代後半には清渓川は姿を消し、水ではなく車の流れる交通幹線となった。
 1990年代になると、歴史文化の再生や環境改善などのため、清渓川復元への世論が高まった。市長選挙で川の復元を公約とした候補者が当選し復元が決定、約3年間の工事を経て2005年、川が再び開かれた。延長5.8kmにわたり再生された河川の両岸には遊歩道が設けられ、あるところは階段状の広場、あるところはビオトープ、あるところは噴水や光のイルミネーションなど多様な整備と演出がされた。今ではソウル市民や観光客の憩いの場として親しまれ、市民の誇りの場ともなっている。
 川幅は場所によって異なり約10-15m、川の両側の歩道幅員は約3-10m程度である。水は飲料用ではないもののきれいで、夏には足を浸して涼む人、じゃぶじゃぶと水遊びをする子どもたちも多い。

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清渓川 水流とランドスケープの再生によって、都心に人々が戻ってきた


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