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Great Urban Places in Asia 121 - ソウル Seoul 2 [アジアの都市探訪]

明洞 Myeongdong
 明洞(ミョンドン)はソウル一の繁華街で、商業施設やオフィスが集積する。明洞地区内の道路は自動車交通規制がされ歩行者専用となっている箇所や時間帯が多く、まちは昼も夜も多くの歩行者で賑わう。建物は現代的、中層で間口が狭いものが連なり、壁面位置はほぼそろっている。低層階の大半は物販店、飲食店であり、チェーン店が多いがなかには地元の個店もある。壁面広告は正面据え付け型と袖看板が目立ち、内部発光型が多く、表記は英語とハングルが多く時折日本語も見られる。このまちなみの構成、ファサード、商業形態、看板の表現や形態は東京など日本の大都市と似ており、最も現代商業化したものである。
 夕刻になると、みちに多くの露店が開かれる。宝飾アクセサリー、小物、カバン、靴、衣類、携帯電話、音楽ビデオ類などの物販店のほか、各種の飲食屋台がずらっと並び、まちの密度がさらに増す。その時間帯に出てくる店の多くは地元商業者の個店のようで、昼間は大型店やチェーン店が目立つが夕方になるとぐっと庶民的になり、ローカルな明洞らしさが高まっていく。

明洞.jpg
高級品から庶民的な品まで多種多様な商品を売る露店がみちに出て、明洞の夜は大いに賑わう

(続く)
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Great Urban Places in Asia 120 - ソウル Seoul 1 [アジアの都市探訪]

ソウルとは朝鮮語で首都という意味である。その名のとおり、この都市は600年以上にわたり首都であった。ソウルの正式名称はソウル特別市で、1946年に京畿道から独立し、広域自治体(日本では都道府県に相当)と同等の自治体となった。1948年に大韓民国が独立するとその首都となった。1950年に始まった朝鮮戦争では大きな被害を受け、首都は一時プサンに移されたが、停戦後1953年にソウルに再遷都された。1960年代には高度経済成長時代を迎え、70年代には市域が拡大して周辺町村の統合が行われた。市の人口は1991年にピークの1,090万人を超え、その後は緩やかな減少となっているが、それでも2016年の人口は990万人、近郊地域を含めた都市圏では2,350万人と世界有数の大都市圏であり、韓国民の約半数が居住している。
漢江が都市中央部を東から西に流れており、かつての宮城や歴史的地区などを含む古くからの市街地の大半は川の北側、直径6kmほどの円の範囲内に位置している。川の南側には江南地区など近年開発が進む新興商業、ビジネス、住宅地区が拡がっている。

清渓川 Cheonggyecheon
 清渓川(チョンゲチョン)は、ソウル都心のほぼ中央部を東西に貫く川である。
 川の両岸には600年前から居住地があったという。ソウルの幹線街路網はこの川を中心に形成され、この川を渡る橋の周囲が商業地となった。日本による植民支配の時代や朝鮮戦争を経て、川の両岸は多くの難民が集まる密集居住地帯となった。生活排水の流入、ごみ投棄などの衛生問題が悪化し、都心の自動車交通量も増加した。それらの問題は1960~70年代の高度成長期に一層深刻化したため、段階的に川に蓋がされその上が道路とされ、さらにその上に自動車専用道路が建設された。70年代後半には清渓川は姿を消し、水ではなく車の流れる交通幹線となった。
 1990年代になると、歴史文化の再生や環境改善などのため、清渓川復元への世論が高まった。市長選挙で川の復元を公約とした候補者が当選し復元が決定、約3年間の工事を経て2005年、川が再び開かれた。延長5.8kmにわたり再生された河川の両岸には遊歩道が設けられ、あるところは階段状の広場、あるところはビオトープ、あるところは噴水や光のイルミネーションなど多様な整備と演出がされた。今ではソウル市民や観光客の憩いの場として親しまれ、市民の誇りの場ともなっている。
 川幅は場所によって異なり約10-15m、川の両側の歩道幅員は約3-10m程度である。水は飲料用ではないもののきれいで、夏には足を浸して涼む人、じゃぶじゃぶと水遊びをする子どもたちも多い。

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清渓川 水流とランドスケープの再生によって、都心に人々が戻ってきた


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