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Great Urban Places in Asia 118 - 大連 Dalian 1/ City Sketches [アジアの都市探訪]

大連の広場
かつて大連は小さな漁村であった。1898年、清朝から租借権を得たロシアが鉄道を敷設し、港湾整備と大改造後のパリを模した計画をつくり、都市開発が始められた。日露戦争後の1905年に租借権が日本に譲渡され、ロシアが作成した都市計画を拡張、発展させ、鉄道、道路、港湾などのインフラ整備、モダンな街並み整備を進めた。日本は大連を貿易都市として発展させることを意図し、1930年代には地域の主要貿易港となった。
 19世紀後半は近代工業化社会と帝国主義を背景としたバロック都市計画の隆盛期で、シンボリックなビスタライン、円形広場を中心とする放射状の街路網、大きな街区ブロックなどを特徴とする。アメリカのワシントンDC計画やフランスのパリ大改造計画がその代表例として知られる。大連中心部の都市計画もその流れを汲み、円形広場からの放射状幹線道路とそれらを結ぶ一部環状道路が都市の骨格になっている。道路は直線状、広幅員で、今日では自動車交通量が非常に多い。
 アジア太平洋戦争後、大連は一時ソ連の管理下におかれ、1951年に中国に返還された。
現代の大連は中国東北地方の中心的な商工業・港湾都市として、急速な経済成長を続けている。2012年の常住人口は約610万人である。
 
中山広場 Zhongsan Circle
大連都心部の道路網の中心にあるのが中山広場で、直径約200mの円形広場である。日本統治時代はこの広場が街の中心で、市役所、警察署、銀行、ホテルなどが広場を囲んで建設された。いくつかの建築物は今日まで保存、活用されている。
 このスケッチは、中山広場の南側に面する旧大和ホテル、現大連賓館のロビーに掲出されている写真をもとに描いたもので、正面中心にあるのが旧大和ホテルである。

中山広場昔.jpg
1920年の中山広場
大連賓館のロビーに掲示されている写真をもとに描いたもの
 
中山広場今.jpg
 こちらは中山広場の南側、大連賓館の対面を、2012年時点の開発イメージ写真から描いたもの。広場に面する建物の多くは保全され、その周囲には高層建築が立ち並ぶ計画となっている。

中山広場周辺の開発イメージ(2012年時点)
広場近くに掲出されていた開発イメージ写真をもとに描いたもの

(続く)
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