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Great Urban Places in Asia 76 - メトロマニラ Metro Manila 1 [アジアの都市探訪]

メトロマニラはフィリピンの首都圏 (NCR: National Capital Region)であり、16の市とひとつの自治体によって構成されている。マニラ市はその中にあって歴史、政治、文化の中心都市である。
 16世紀にスペインがマニラを支配し、要塞都市イントラムロスIntramurosの建設を開始した。スペイン統治は19世紀末まで続き、フィリピンの人々や文化に多大な影響を及ぼした。そのひとつとして、フィリピンの主要な宗教がカトリックであることが挙げられる。20世紀初頭からはアメリカがフィリピンを植民化し、これもその後のフィリピンの文化や経済に大きな影響を与えた。
 アジア太平洋戦争においてマニラは壊滅的な被害を受け、荒廃した中心市街地は戦後長期間に渡り再建されず放置された。フィリピンは戦後独立し、マニラは大いなる経済発展を果たしたが、一方その間に多くの人々が荒廃したマニラ市街地に流入して定住し、一部はスラム化した。そのことは、マニラ内部に大きな経済格差を生み出した一因となっている。

イントラムロス Intramuros
 マニラ湾に面し、アジア交易に好適な港湾都市として、イントラムロスの建設は16世紀末にスペイン人によって始まった。以後数世紀にわたり、イントラムロスはマニラの政治、軍事、宗教の中心であった。中国人海賊の襲撃から守るため、星形の分厚い城壁で囲まれた要塞都市とされた。イントラムロスとは、スペイン語で「壁の内側」という意味である。
アジア太平洋戦争の末期1945年、マニラは日米の激戦場となった。多数の市民が犠牲となり、イントラムロスの重厚な中世都市・建築の大半は爆撃で灰燼に帰した。唯一被害を受けなかったのはサンオーガスティンカトリック教会といわれ、被害を受けた建物の大半は戦後に取り壊された。
イントラムロスの修復は1980年代以降になってようやく開始され、今日ではいくつかの歴史的建築の修復が完了し、スペイン統治時代のノスタルジーを感じさせる中世ヨーロッパ調の街並みが部分的ではあるが再興された。
今日のイントラムロスは静かな歴史保存地区でもなければ、単なる観光地でもない。重厚な建造物があり、低所得層の居住地区がそれらに隣接している。住宅の建物はバラックのつぎはぎ状態のところもあり、1階には小さな雑貨店、飲食店や床屋などが入っている。客引きに熱心な観光用サイクルリキシャの運転手たちも、ここでは車を道に置いて休んでいた。大人たちは家の前のみちで何かしゃべり食べ飲み、子どもたちはその周りで走り遊びまわっていた。

イントラムロス.jpg
低所得層住宅が並ぶ地区。人々はクリスマスの飾りつけをしており、生き生きした生活の場であった。

(続く)
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