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Great Urban Places in Asia 23 - デリー Delhi 1 [アジアの都市探訪]

 インドの首都デリーは旧来の市街地オールドデリーと、20世紀初頭以降のイギリス統治時代に計画的に開発されたニューデリーからなる。その間には見た目で明確な境界はない。
デリーは12世紀以後、さまざまな王朝の首都となってきたが、16世紀にムガール帝国の首都とされた。その後いったん首都が移されたが17世紀中盤に首都とされ、現在のオールドデリーの基礎となった。ムガール帝国は1857年に滅んだが、その後もデリーはイギリス統治下でインド北部の鉄道結節点となり、1931年にニューデリーがイギリス領インド帝国の首都となった。1947年のインド独立後も首都であり続け、2016年の都市人口は1,100万人、都市圏人口は2,649万人(2017年時点)と世界第3位の大都市圏となっている。

 オールドデリーは比較的小さく複雑な街路・街区構成からなり、人、車などが密集する。今日見られる建築物は20世紀前半から中頃に建てられたと思われるコンクリート造中層のもの、それ以前のレンガ造のものなど様々だが、史蹟や寺院等を除けば歴史的建築物は多くは残されていず、新しい現代的な建築も少ない。老朽化して維持管理が十分でないと見られるものは多い。

 ニューデリーは1911年以降イギリスによって計画的に作られた都市で、広大な街区と大きな街路バターンを持っている。政治的機能が集約され、インド連邦政府とデリー地方政府による共同統治となっている。車社会以前にこのような都市を造営したことは驚きで、必要性を超えており、大英帝国の権威を示す意味合いが大きかったと思われる。

 ニューデリー、オールドデリーともに幹線街路は広く、自動車が多い。まちなかの道はオートリキシャ、サイクルリキシャ(自転車と同じく自分でこぐ)車、人、犬であふれている。道は交通だけではなく商売、生活すべてが行われる場だ。路上生活者も多い。

 1階の店舗は道路に開いているものが多く、みちと建物・店と人、リキシャ、車は渾然一体化している。路上の屋台も多い。このような状況はアジア各国でも見られるが、デリーではその密度が濃く、そして旧市街全体に広がっている。旧市街にはメインバザールMain Bazar(ニューデリー駅前)、チャウリバザールChawri Bazar,ミーナバザールMeena Bazar、チャンドニチョークChandni Chawkなどのメインストリートがいくつかあるが、どれもそのような共通点を持っていた。


メインバザール~ニューデリー駅 Main Bazar Road to the New Delhi Station
 メインバザールはインド国鉄ニューデリー駅前を起点とする長さ約1キロメートル、幅員10メートル程のほぼ直線状の街路で、沿道と道路上は商店、飲食店、ホテル、各種の露店、人、オートリキシャ、サイクルリキシャ、生活者であふれかえっている。デリー市内や近郊を走る地下鉄Metro駅と国鉄駅を結ぶルートであるため、インド国内や海外旅行者の通行も多い。
 この街の色として濃灰色がイメージされる。人、犬、ごみ、粉塵、罵声と騒音、バイタリティと惰性、裕福と貧困などあらゆるものが濃密に混ざった色。
 ニューデリー駅には、大国の首都の中央駅前にありそうな権威的象徴的な空間や施設は一切ない。駅南口には小さな辻広場があり、そこにいくつかの飲食露店がでて旅行者が軽食をつまみ、サイクルリキシャやオートリキシャが客取りにしのぎを削り、メインバザールの商店街が口を開けている。


main bazaar.jpg
メインバザール中ほどにある小さな広場。飲食店の屋台が出て、男たちが朝食に集まる。
こういう場には、女の客はほとんどいない。
1月、デリーの朝は霧が出て結構寒く、路上で火を焚いている人も少なくない。


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